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礼拝説教

7月7日礼拝説教

説教「主イエスの教える祈りの特徴」東京神学大学名誉教授 近藤勝彦牧師

  ルカの福音書11章1~13節

 主イエスはその生涯においてよく祈りをなさる方でした。山に上って祈り、人里を離れて祈り、時には夜を徹して祈られました。弟子たちの中から12人を選んだときにも、「祈るために山に行き、神に祈って世を明かされた」と記されています。そのように祈りを込めて、呼び集められた弟子たちは、当然のこと、主イエスの祈る姿に引き付けられ、深い印象を与えられました。今朝の箇所にも「イエスがあるところで祈っておられ、祈りが終わると、弟子の一人がイエスに『主よ、わたしたちにも祈りを教えてください』と言った」とあります。すると主イエスは、「祈るときには、こう言いなさい」と言って、「主の祈り」を教えてくださり、あわせて譬えを用いて、どう祈るか、つまり主イエスの祈り、キリスト教的な祈りを弟子たちに教えてくださったというのです。

「主の祈り」の一つ一つを学ぶことは、大切な課題ですが、それは別の機会にすることにして、今朝は主イエスの祈りの教えからその特徴、つまりは主イエスの祈り、キリスト教的な祈りの特徴を学び、私たち自身の祈りの糧にしたいと思います。

 第一に学ぶべきことは、主イエスの弟子とされた者たちの祈りは、常に祈っておられる主イエスが共におられる中で、主イエスが教えてくださったように祈る祈りであるということです。人間は誰でも祈りを持っていると言うこともできるでしょう。色々な宗教にそれぞれの祈りがあり、宗教心のない人でも心の底を探れば、言葉にならない祈りが潜んでいるとも言えるでしょう。ですが、キリスト教的な祈りは、主イエスが伴にいてくださるので、その名によって、つまり主イエス・キリストによって祈る祈りです。どこが違うでしょうか。私れると信じて、その主によって天地の創造者である神に「父よ」と祈ります。そしてそのとき主イエスは、「魚を欲しがる子供に、蛇を与える父はなく、卵を欲しがるのにサソリを与える父親はいない」とおっしゃいます。

主イエスによって教えられた、私たちの祈りは、主イエスによって神の子とされて、父である神に願い求めることができるようにされた者の祈りです。これが「キリスト教的祈りの一大特色」と言ってよいでしょう。神を「父よ」と呼んで祈る祈りです。私たちは欠けの多い罪の者ですが、それでも主イエスの執り成しと贖いによって「神の子」とされています。そうしてくださったのは他ならない主イエス・キリストであり、主にあって天の父なる神です。私たちはそのようにして神の憐みと深き恵みの中に入れられました。御子キリストにあって父なる神が私たちを子としてくださいました。御霊はそれゆえどんな時にも「アッバ」(父よ)と呼ぶように働いてくださいます。「父よ」と神に呼びかけ、御霊により、主イエス・キリストの名によって祈る。それがキリスト教的祈りです。

 「アッバ」、父よと祈るのは神の子とされたからですが、それが救いに入れられたということです。神の恵みを受け、神との平和の中に入れられています。「神の子」とされたことは、何よりも幸せなこと、幸いなことです。そういう幸せの中にキリスト者は入れられ、その幸せの中で祈ります。私たちは不幸のどん底で祈っているように見えて、しかしそうではありません。主の贖いを受け、神の子とされた幸いの中で、この上ない喜びの中で、祈ってよい、祈ることが許されていると言われ、祈りなさいと命じられています。考えてみますと、自分の信仰生活でも反省させられるのですが、何よりも幸いなことは、キリストのものとされ、神の子とされたことでしょう。つまりキリスト者にされたことで、この事実にまさる幸いはないと言うべきです。そのことを噛み締めながら、「父よ」と祈りたいと思います。

 キリスト教的祈りのもう一つの特徴は、主イエスが譬えで教えてくださっているように、<信頼して>祈り、そのうえで<せがむように>、<願い求めなさい>と言われます。これを主イエスは、当時のパレスチナ地方の日常生活の譬えを通してお教えになりました。急な来客が来ることがあるであろう。その来客が旅の途中であったら、旅人をもてなすことは、当時、誰にとっても重んじるべき義務でした。しかし自分の家にはパンは余っていません。当時の村の生活ではどの家でもその日食べる分のパンしか焼かなかったのです。それでどの家ならパンが余っているか、村の人みなに分かりました。それでパンをもらいに行くという譬えです。しかし断られます。「もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ている」。主イエスの時代のパレスチナの家は一部屋だけの家です。戸はかんぬきを嵌めて閉ざします。それを開ければ、すごい音がして、一部屋に寝ている子供たちを起こしてしまいます。「起きてあなたに何かをあげるわけにはいかない」。正当な理由による断りです。「しかし言っておく」。つまりここで主イエスはおっしゃいます。「粘り強く頼め」。「しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう」。キリスト教的祈り、主イエスの祈りのもう一つの特徴がここに示されます。祈りは具体的であっていい。日常生活の問題を祈っていい。しかも信頼して、気分的にでなく、明白な意志をもって祈るのです。ある人は、「神様の心を変えていただけたと思えるまで祈れ」と言いました。そのため、夜祈るだけではない、昼間の労働の時間にも仕事に替えて祈ることも重要だと言いました。

その時主イエスは「そこで私は言っておく」と言います。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」。そして「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」と言ったのです。この言葉のもとに主イエスがおられます。祈りは聞かれるというのです。それを確信して祈れと主イエスは求めます。信頼してせがむように粘り強く願う。そして願い求めて祈ることはかならず聞かれる、聞き入れられる。それを確信して祈る。それが主イエスの教えるキリスト教的祈りです。
そして最後に、神は祈りに応えて最もよきもの、最善のものをくださいます。それが最後に「聖霊を下さる」と主イエスが言われる言葉の意味です。必要なものを何でも求めよと主イエスは言われました。そして「天の父は求める者に聖霊を与えて下さる」とおっしゃいました。「何でも求めよ」と言われて、聖霊を求める人は少ないのではないでしょうか。しかしここにも主イエスの教える祈り、つまりはキリスト教的祈りの重大な特徴が表れています。

天の父が聖霊をくださるとはどういうことでしょうか。聖霊は神御自身にほかなりません。神は祈り求める者を失望に終わらせようとはなさらない。良きものをお与えになります。神の与えたもうよきものはみな聖霊の賜物です。しかもその聖霊そのものをくださるとは、神が御自身をくださることです。救いと御力に充ちた神御自身の臨在をくださると言うのです。

 私たちには色々と求め願わなければならないことが多くあります。それだけ欠け多い存在であり、困難の中にいる者たちです。しかも私たち自身には何が本当に必要なのかもはっきり分かっていないでしょう。私たちの祈りは、見当が外れているかもしれません。それでも「求めなさい」との言葉に励まされ、私たちは赦しを求め、神の義と平和を求め、癒しを求め、助けを求めます。そのとき聖霊は私たちのすべてを私たち自身よりもよく知って、とりなしてくださる神の霊です。

聖霊は生き物に命を与える霊であり、摂理に働き万物を神のものとして、保持する力なる神でいらっしゃいます。神の霊を与えて下さるということは、万物を与えて下さるということであり、神御自身を与える意味ではそれ以上のことです。
「まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」というこの主の言葉は、神がすべてを与えてくださり、最善のものを与えて下さるということです。必死の祈りで求め、しかしそれが得られないとき失望のうちに信仰を失うべきではありません。そのときこそ、神は御自身を下さり、すべての中で最も最善のものをくださることを信じて祈るべきです。

 キリスト者とされた人は、何年も祈りの生活をしてきたことでしょう。みなさん、本当に祈り、祈りの生活を生きて来られましたか。そうであったら、その人は、最善のものを与えられ、最善の人生を生きてきたということではありませんか。そう確信することができるでしょう。「わたしの恵みはあなたに十分である」とパウロは聞くことができました。私たちもそう聞くことができるまで、信頼し、そして明確な意志をもって、意志的に、執拗なまでに祈ろうではありませんか。そして「我恵み汝に足れり」と主が言われるのを聞くことができたら、私の人生はこの上なく幸せな、最善の人生であったと心に深く思うことができるのではないでしょうか。

 天の父である神様、主イエスによる祈りの教えに聞くことができ、感謝します。どうか私たちも祈られる主イエスに倣って、主御自身の祈りに学び、従うことができますように。主の名によって求め、願い、捜し、叩く者とならせてください。思い願っていたものが与えられない時には、あなたがより一層よきもの、最善のものを下さっていることを信じて、「わが恵み、汝に足れり」との御声を聞くことができますように。
 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

      1000礼拝堂赤

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