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礼拝説教

礼拝説教

説教 「全能者の御子の祈りに守られ」 長山 信夫 牧師

ルカによる福音書11章14‐26節
 
 「イエスは悪霊を追い出しておられた」と14節にあります。主イエスは町々村々を巡って悪霊を追放され、多くの人々を救われました。食べる間も眠る間も惜しんで救いを求める人々のために労する姿に、母マリアやイエスの弟や妹たちは、悪霊にイエスが取りつかれたのではないかと心配するほどでした。今日の聖書箇所では、口の利けなかった人が利けるようになったという驚くべき出来事に、見ていた群衆は、この人を支配していた悪霊が追放されたことを認めざるを得ませんでした。問題はどのようして悪霊を追放出来たかです。

 群衆は、悪霊の頭が悪霊を滅ぼしたのだ。つまり悪霊を追い出して、口が利けるようにできたのはイエスが悪霊の頭だからなのだと考えたのです。イエスの身内がそのように考えたほどですから群衆がそう思ったとしてもやむを得ないことかもしれません。マルコによる福音書3章22節には「エルサレムから下って来た律法学者たちも、『あの男はベルゼブルに取りつかれている』と言い、また、『悪霊の頭の力で悪霊を追い出している』と言っていた」とあります。

しかし、もしそうなら絶望しかありません。もっと強い悪霊の支配に痛めつけられることになるからです。主イエスを誤解している人々に警告しておられます。
「 21強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。 22しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。 23わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」 24「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。 25そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。 26そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」(21‐26節)

そして、御許に招くべく語りかけてくださっています。
「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」(20節)
『新キリスト教組織神学辞典』の「悪」の項目冒頭にこうあります。先週説教をしてくださった芳賀力先生の解説です。
「悪には大別して、犯す悪と被る悪がある。前者の犯す悪のうち、人間が神に対して犯す悪は、聖書が罪と呼ぶものであり、人間が人間に対して犯す悪は、不義や咎、犯罪と呼ぶものである。これもまた結局は罪と呼ばれるものに属している。人間が被る後者の悪には、病や障害といった不可抗力的なハンディや自然の災害(天災)、そして他の人間の悪によって被る災い(人災)が数えられる」。

「悪霊」は「被る悪」ということになるでしょう。十字架上で、「犯す悪」である罪からわたしたちを救ってくださった主イエスは、受難に先立ち、ガリラヤ中を走り回り、「被る悪」によって苦しむ人々を救うために、身内が正気でないと思うほど人々のために労されたのです。

実は、悪霊追放の業は弟子たちに与えられました。ルカによる福音書9章1節の言葉です。
「イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった 」。
この夏にオリンピックに続いてパラリンピックが開催される予定です。世界中から、障害を乗り越えた選手たちが集まり、力を競います。本人の努力と共に周囲の人々の協力、多くの人々の励ましがそれを可能にしているのです。「被る悪」を克服する力をわたしたちは獲得し始めていると言えるのかもしれません。

 11章では口の利けない人が利けるようになりました。口をきけない人であっても、わたしたちが手話を身につけさえすれば、会話をすることが可能です。耳の聞こえない赤ちゃんが、開発された補聴器によってはじめて母親の声を聞いた時の喜ぶ様子をテレビは紹介していました。

 バリアフリーの環境が、道、交通機関、建物へと広がっています。足の不自由があっても、活動の幅を広げることができるようになりました。悪霊の力を打ち負かす主イエス・キリストを信頼し、希望を持ち、助け合い、受け入れ合うなら、「被る悪」の問題を世界は乗り越えていくことができるのではないでしょうか。

 わたしには苦渋を持ってしか思い起こすことのできない経験があります。「先生、来てください」と電話がありました。とにかくそのご家庭を訪ねると、お医者様から生まれて間もないお子さんの障害が告げられたというのです。自分の子どもが同じ境遇だったらと思うと慰めの言葉も思い当たりませんでした。「先生には愛がない。」教会員である母親からわたしに向けられた言葉です。かつて牧会した海辺の教会、ホームページに掲載された教会の写真の中に、すっかり大人となった娘さんと母親が笑顔で加わっていました。「被る悪」から、主イエスは救ってくださる。ただただ感謝するほかありません。

 11章には、祈りについての教えが最初に記されています。弟子の一人の「祈りを教えてください」との要請にこたえて、主イエスはわたしたちの口に祈りの言葉を授けてくださいました。祈りの教えに続くのが、口の利けない人の癒し、悪霊追放です。口の利けない人とは、祈れない、祈らないわたし自身だと思います。神に望みを置いて、神に向かって口を利くことのできる人、祈る人に主はしてくださるのです。

「被る悪」に苦しんでいる時、まず祈るべきです。主イエスが救ってくださいます。「被る悪」に苦しむ人を身近に知る時、まず祈るべきです。主イエスは、祈りに応えて、援助する力を与えてくださいます。

祈祷 
天の父なる神様 独り子を遣わしてくださり、あらゆる悪からわたしたちを救ってくださる御恵みに感謝します。どんな困難の中にもあなたに希望を置いて祈り、前進する者としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。  アーメン

 

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