礼拝スケジュール
お知らせと礼拝式次第
「石の叫び」 (ルカ19:40による)
「新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。
右の御手、聖なる御腕によって主は救いの御業を果たされた。」
詩編98:1
安藤記念幼稚園の園児の皆さんは、音楽が大好きです。今「おもちゃのシンフォニー」を練習し楽しんでいます。また園児の皆さんは「お片付け」をよく奉仕してくださいます。自分が出した遊び道具でなくても、走ってきて運んでくれます。特に年長のゆり組の園児の皆さんは本当によく御奉仕くださいます。優しい心が育っています。
安藤記念教会は、この2月8日の日曜日で創立109周年記念日を迎えます。記念礼拝と愛餐の昼食会があります。どうぞお越しください。皆で主が仙台坂上に輝かせている創立の恵みを喜び祝いましょう。安藤記念教会は、元旗本のお侍が建てた教会です。
そのお侍の名前は安藤太郎です。奥様は文子夫人です。文子夫人の方が夫よりも身分がはるかに上のお侍の妹でした。あの荒井郁之助の妹が文子夫人です。戊辰戦争の宮古湾沖海戦で安藤太郎たちが乗った回天という戦艦が生きて戻れたのは、当時海軍奉行であった荒井郁之助の操舵のお陰でした。
戊辰戦争を生き残り、明治政府の外務省の四等書記官に雇われ、安藤太郎は出世して40歳でハワイ総領事となりました。そして、キリストと出会い悔い改めて洗礼を受けました。それは安藤太郎42歳の時でした。
安藤太郎は引退後、1917年2月11日に、自宅を献げて安藤記念教会を創立しました。罪を赦し救ってくださった神の御子主イエス・キリストに感謝して、安藤太郎ご夫妻は教会と幼稚園をつくりました。
あの新選組の土方歳三や坂本龍馬と友人であった安藤太郎は、戊辰戦争を生き残り、すべてを主なる神様にお献げして教会を建て、新しい歌を主に向かって歌いました。それが安藤記念教会の創立でした。現在も、安藤記念教会と幼稚園からは、日々新しい歌が、キリスト賛美が、仙台坂上に響き渡っています。どうぞ、いつでもお越しください!
2026年2月6日
安藤記念教会
牧師・園長 中村 謙一




(自分が使ってなくても、イエス様の奉仕の精神でお片付け!
音楽を愛し楽しむ園児たち。「おもちゃのシンフォニー」を合奏。)
<2026年2月8日創立109周年記念礼拝>
黙 祷
礼拝招詞 コロサイの信徒への手紙1章14節
わたしたちは、この御子によって、贖い、
すなわち罪の赦しを得ているのです。
頌 栄
24番 たたえよ、主の民、みつかいと共に
恵みにあふれる 父・子・聖霊を。 アーメン
↓
https://www.youtube.com/watch?v=jwm3ApyEkho
交読詩編 詩編150編1~5節
ハレルヤ。聖所で
神を賛美せよ。
大空の砦で
神を賛美せよ。
力強い御業のゆえに
神を賛美せよ。
大きな御力のゆえに
神を賛美せよ。
角笛を吹いて
神を賛美せよ。
琴と竪琴を奏でて
神を賛美せよ。
太鼓に合わせて踊りながら
神を賛美せよ。
弦をかき鳴らし笛を吹いて
神を賛美せよ。
シンバルを鳴らし
神を賛美せよ。
シンバルを響かせて
神を賛美せよ。
息あるものはこぞって
主を賛美せよ。
ハレルヤ。
'使徒信条''
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、 罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。
讃美歌
讃美歌21-566番「むくいを望まで」
ここを↓クリックして讃美をしてください
https://www.youtube.com/watch?v=k19oE0avDIc
聖 書
ローマの信徒への手紙13章8~14節
8互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。 9「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。 10愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。
救いは近づいている
11更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。 12夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。 13日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、 14主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。
牧会祈祷
奉 唱 「リリオカラニ女王の祈り」 聖歌隊
説 教 「侍の回心で創立した教会」 中村 謙一牧師
ローマの信徒への手紙13章11~14節
今朝2月8日、私たちは、安藤記念教会の創立109周年記念礼拝を主にお献げしています。安藤記念教会は、1917年に安藤太郎と文子夫人が自宅を主なる神様にお献げして創立しました。安藤太郎ご夫妻は日本メソジスト教団の銀座教会の信徒でした。最初は銀座教会の講義所として始められ、1年後に教会と認められました。
安藤太郎は、元旗本の侍でした。現在の三重県の鳥羽藩主、稲垣長敬(ながひろ)に安藤太郎は仕えていました。時代は幕末でした。米国から黒船がやって来て、江戸幕府は開国を欧米諸国から迫られていました。安藤太郎は、神戸の海軍操練所で校長の荒井郁之助から坂本龍馬と共に船の操舵について学び、江戸幕府海軍の「回天」に水兵として乗り込み幕府に仕えていました。安藤太郎はまだ20代の水兵でしたが、品川沖海戦、宮古湾沖海戦、五稜郭の戦いなど戊辰戦争に参加し、自らもガトリングガンで撃たれて重傷を負い、明治政府軍に敗北し、友人の土方歳三も失い、北海道の函館の牢に1年間入れられました。
そして、服役後、安藤太郎は当時の外務省の4等書記官の英語通訳として雇われ、1871年12月23日の岩倉具視の欧州使節団に参加しました。安藤太郎は英語が得意でした。安藤は幕末に英語塾や宣教師バラとブラウンから実践的な英語を習得していました。後に欧州使節から帰国後には、明治天皇の御用通訳を務めるほど、安藤の英語力は認められていました。
さて安藤太郎が参加した岩倉具視の欧州使節団は、関税自主権を取り戻す交渉を欧米諸国とすることが目的でした。ところが当時、江戸幕府も、明治政府も、キリスト教迫害を続けていました。1867年には九州の浦上四番崩れというキリスト教徒迫害事件が起こり、3394人もの隠れキリシタンが逮捕され流刑され拷問を受けました。662人が拷問で殺されました。1011人がキリスト教から仏教や神道へ改宗しました。岩倉使節団が出発した時にも、佐賀県伊万里市で67名のクリスチャンが逮捕され、駐日欧米公使達が明治政府に抗議をしていました。
107名の岩倉具視の欧州使節団は、訪問先のすべての国々で、キリスト教迫害について厳しい抗議を受けました。関税自主権を取り戻す交渉はうまくいきませんでした。欧米諸国の元首と大臣たちは、信教の自由を認めず、キリスト教徒を迫害する野蛮な国、日本とは交渉できないと言われてしまったのでした。大英帝国のヴィクトリア女王は信教の自由の大切さと順守を岩倉使節団に激しく訴えました。英国の外相グランウィルからも厳しい抗議を受けました。
米国のグラント大統領は、ホワイトハウスの大統領執務室の机をげんこつでたたき、次のように抗議しました。「そもそも、わが国の人民に富強と幸福とをもたらしたゆえんのものは、外国と交際し、出版の自由を奪わず、人の信仰と良心を束縛せず、宗教に寛容を与えることについて、わが国民のみでなく、この国に住む外国人にも一切の制限をもうけなかったからである!」
ベルギーでは、抗議をする一般市民に岩倉使節団の馬車が囲まれ騒然となりました。ベルギー蔵相モローからも抗議を受けました。フランスでは、外相のレミユサから抗議を受け、フランス議会には日本のキリシタン迫害報告書が提出され問題とされました。デンマーク国王のクリスチャン9世も浦上キリシタンの釈放を岩倉使節団に厳しく要求しました。ドイツのベルリンから伊藤博文は本国の明治政府に次のように打電しました。「浦上のキリシタンを解放しないと条約の改正は望めない。」
安藤太郎は、外務省四等書記官としてこの欧米諸国の抗議を英語から日本語へ訳す仕事をしていました。安藤太郎はキリスト教に反感を持っていました。261年もの間、キリスト教迫害を行った江戸幕府の旗本の侍として、伊勢神宮を守る鳥羽藩の侍として、また江戸幕府のキリスト教禁止策を受け継いだ明治政府の役人の一人として、安藤太郎はキリスト教が好きになれませんでした。日本を野蛮な国と見下す嫌な宗教がキリスト教であると安藤太郎は後に語っていました。安藤太郎が仕えた鳥羽藩のすぐ近くにある、伊勢二本木には、浦上キリシタンが76名収容された流刑者の収容所があり、そこでキリシタンは毎日拷問を受けていました。伊勢神宮の神道の力で強制的に改宗させようとしていたのでした。鳥羽藩は伊勢神宮を守る藩として選ばれ、海産物を伊勢神宮に納めるほど深い関係がありました。当時の明治政府のボスたちに、欧米の激しい非難を通訳しなければならなかった安藤はどんな気持ちであったことでしょう。
こうしてついに1873年2月24日に、日本でキリスト教が解禁となりました。太政官布告第68号が定められ日本中に布告され、キリスト教禁教の高札は引き抜かれ、20の藩に流刑されていた3394人の浦上キリシタンは釈放されました。棄教した1011人も回心してキリスト教徒に戻りました。拷問によって殺された662人は殉教者となりました。
安藤太郎の英語の能力がキリスト教解禁と日本の開国に通訳として用いられたのでした。明治政府は欧米諸国の激しい非難を受け、開国に伴い治外法権の撤廃と信教の自由、キリスト教の解禁は避けられないと判断しました。こうして、神様は安藤太郎の英語力を通訳の御業として用いてくださいました。それは安藤太郎にとっての先行する恵みとなりました。
その後、安藤太郎は破格の出世を遂げました。明治天皇の御用通訳から、香港副領事、上海総領事、そしてハワイ総領事となりました。普通、明治政府では薩摩都藩、長州藩、土佐藩の出身でないと出世はなかなかできませんでした。ところが江戸幕府の旗本の侍で、戊辰戦争では薩長の敵であった安藤太郎が破格の出世を遂げました。安藤太郎は、やがて外務省通商局長、農商務省商工局長となって1897年明治30年51歳で引退しました。そして現在の安藤記念教会の住所に自宅を建てて住んでいました。地元の長老たちからは「安藤のお殿様」と呼ばれ愛されました。
さて安藤太郎の人生で忘れられない出来事が起こりました。それは1888年7月15日に、安藤太郎が42歳のハワイ総領事の頃、キリスト教の洗礼を受けたことでした。メソジスト教会の美山貫一牧師から、ハワイのオアフ島のセントラル・ユニオン・クリスチャン・チャーチで安藤太郎は洗礼を受けました。安藤太郎だけでなく、文子夫人とハワイ総領事館の職員全員が一緒に洗礼を受けました。これが、ハワイ島のキリスト教会で洗礼を受けた初めての日本人達となりました。この出来事は、現在も安藤記念教会の受付にある、小川三知作のステンドグラスに書き記されています。どうぞ後で御覧になってください。NHKも日本テレビも、撮影していった有名なステンドグラスです。CONVERTSと書いてあるのが受洗者たちのことです。PIONEERSと書いてあるのが開拓伝道者たちのことです。開拓伝道者たちとは、日本メソジスト教会の美山貫一牧師と鵜飼猛牧師のことです。
安藤太郎がハワイ総領事の頃、日系移民たちの風紀が乱れ、地元のアメリカ人達と問題を起こしていました。当時のハワイの二系一世の移民たちは明治の人々だったので、大酒飲みで博打打ちが多く、酒を飲んで暴れたり、博打でお金をすってしまい、故郷にいる妻子に送金できなくなる移民もいました。地元のアメリカ人達は日系移民を嫌って、数を制限しようとしました。安藤太郎の仕事は風紀の乱れを正すことでした。
ところが、日本から遣わされた美山牧師と鵜飼牧師の日系移民たちへの献身的な奉仕を見て胸を打たれました。上から目線で取締官の厳しい指導では、当時の移民たちの生活の乱れは変えられませんでした。ところが美山牧師と鵜飼い牧師とは、大変な愛と忍耐をもって、ハワイの島々に住む日系移民たちを訪問し、酒と博打をやめさせ、キリストを手本にして、生活を変えて、故郷の妻子に送金することを勧めたのでした。牧師たちのキリストの愛の話しは移民たちの心に大きな影響を与えました。美山牧師は、両腕に山となる杯とさいころを安藤に渡しました。それらは、回心した移民たちが美山にその証として渡したものでした。
安藤はキリスト教を見直さずにはいられませんでした。目の前で、主の御業を目撃したからでした。人は回心が与えられ、本当に安藤の目の前で変えられていきました。安藤の心の中でキリスト教に対する考えが変わりました。日本人は野蛮だと、裁く神ではなく、神の御子イエスの赦す愛を献身で示す牧師達に、安藤は恵みの神がおられることを知るようになりました。安藤太郎と文子夫人がセントラル・ユニオン・クリスチャン・チャーチで美山貫一牧師から洗礼を受ける8か月前に、あの酒樽事件が起きました。この事件の中心にあった文子夫人は、この時すでに、牧師達の献身的な移民への奉仕を見て、キリスト教のイエスの愛の教えに深く感じる所があったのでした。
本日の聖書箇所にも、13節と14節に次のように書かれています。「日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。」ここで、主イエスを身にまとうとは、主イエスを手本にして聖化の歩みを進めることです。主イエスの愛を手本にして、隠すことなく堂々と、品位を持って信仰生活を歩むことが使徒パウロによって勧められています。そのように歩み、移民に献身的に仕える牧師達を見て、安藤文子夫人は真の献身を、つまり、キリストを求めるようになったのでした。
安藤太郎がハワイ総領事として、日本移民たちの風紀の乱れを改善している、という活躍を聞いて、友人の榎本武揚逓信大臣と日本郵船会社社長だった森岡マサズミから2樽の日本酒が安藤太郎に贈られました。実は安藤太郎は14歳から飲んできた大酒飲みでした。安藤太郎は大喜びで朝から樽の酒を飲みました。そして総領事館へ出勤しました。日本移民には禁酒を勧め、自分は飲む!美山や鵜飼牧師たちの移民たちへの奉仕を見てきた文子夫人は、注意しても聞かない安藤太郎が出勤している間に、2つの酒樽を、召し使いに割らせて、裏庭に穴を掘らせて捨ててしまいました。火をつけるとしばらく燃えていたそうです。そして帰って来た安藤太郎を戒めました。安藤は初めは怒っていたのですが、すぐに気が付き、文子夫人の注意に感謝して、後に割られた酒樽で花台を造り、自宅に飾りました。安藤太郎は生涯禁酒を志しました。その花台は、今、安藤記念教会の講壇の左側に置いてあります。これがそうです。この花台を見ながら、安藤太郎ご夫妻は礼拝に出ていたのでした。後に安藤太郎は、禁酒を守り、日本禁酒同盟の初代理事長となって日本の禁酒運動を指導されました。
こうして、安藤太郎ご夫妻に回心が近づけられていきました。酒樽事件から8か月後に、安藤家の女中頭のお順が回心を与えられたのでした。遂に安藤家で働く者の中から受洗者が出たのでした。それは鵜飼猛牧師が行っていた聖書研究祈祷会に出ていた時のことでした。安藤ご夫妻と安藤家の女中頭のお順も出ていました。お順は居眠りをしていました。すると鵜飼先生は、本日の聖書箇所、ローマの信徒への手紙13章11節にある「あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。」のみ言葉を呼んだ後、軽くテーブルを叩きました。するとお順が起きて自分が居眠りをしていたことに気が付き、その時にお順に回心が与えられました。お順は気が付いたのです。今までの奉仕は形だけの奉仕でした。眠りから覚めたお順は、罪から回心しました。そしてキリストを手本にして真の奉仕をお献げしたいという献身の思いが与えられたのでした。お順はキリストへの信仰に目覚めたのでした。「改めて今日から本当の御奉公をします!」と、お順は変えられました。このお順の影響を受けて、文子夫人にも回心が神から与えられました。お順が文子夫人に罪からの悔い改めを勧めたのでした。
お順と夫の富蔵の洗礼式は、移民の救済事業を行う共済会館の夕礼拝で行われました。安藤ご夫妻は出席して二人の洗礼を見ていました。そしてその日の日誌に安藤太郎は、「聖書の研究を始めた。」と書き記しました。そして、その日の夜12時に美山貫一ご夫妻の家に行き、美山牧師に安藤は次のように言いました。「決心しました。どうか洗礼を受けさせてください。」美山牧師は安藤に言いました。「外交官として、さしつかえありませんか?」安藤は言いました。「ああ、それはかまいません。永遠に魂が救われるかどうかに立って考えると、この世のことなど何でもありません。国が帰れ、と命じれば、慎んで帰るだけです。」安藤太郎はこの時、文子夫人にも聞きました。「お前はどうだ?」文子夫人も言いました。「ええ。そうですとも。そうですとも。」この安藤太郎ご夫妻の回心は、二人の受洗の2週間前の出来事でした。
「永遠に魂が救われるかどうかに立って考えると、この世のことなど何でもありません。」という安藤太郎の心にはすでに、十字架と復活の主イエス・キリストの福音を信じる信仰が神様から与えられていることを示しています。「永遠に魂が救われる」とは、キリストによって罪が赦され、神の御国に入れられて永遠の命が与えられ救われることを、安藤太郎は意味していました。まさに、ローマの信徒への手紙13:11に「救いは近づいているからです」という眠りから覚めるべき時に安藤太郎が、気がつかされたのが、1888
年7月1日の共済会館の夕礼拝でのお順の洗礼式でありました。この時に安藤太郎の魂の目が開かれ、キリストの救いの恵みへの招きに応答する決意が与えられた、つまり回心が与えられたのでした。夜は更け、日が近づき、闇の行いを脱ぎ捨て、安藤太郎は主イエス・キリストを身にまとう洗礼の準備へと歩み出したのでした。この後わずか2週間で、安藤太郎と文子夫人は、洗礼を受けて救われたのでした。
安藤太郎が42歳で洗礼を受けたその年に、1888年7月15日に、美山牧師と安藤太郎は、地元のクリスチャン達と共にハワイ・メソジスト教会を創立しました。この教会は現在も、ハリス記念合同メソジスト教会としてハワイオアフ島に残っています。安藤太郎は、安藤記念教会とハリス記念合同メソジスト教会の創立に関わったのでした。伊勢神宮を守る鳥羽藩の侍が、明治政府の役人となり、日本のキリスト教解禁に英語の語学力の賜物が用いられ、破格の出世を遂げ、ハワイで回心してクリスチャンとされました。キリストに目ざまされ救われた安藤太郎は、ハワイと麻布でキリスト教の教会を創立しました。「この世のことなど何でもありません」と言っていた安藤太郎の信仰は神様の力によってますます育てられ、安藤記念教会時代に、榎本武揚から3度も大臣になる話があったのに断り続け、教会と幼稚園を守りました。眠りから覚める時が、私たちにも来ています。安藤太郎のように、わたしたちも目覚めて、キリストを信じ歩み出しましょう。天に向かうキリストへの真のご奉仕に身を献げましょう!祈ります。
天の父、安藤記念教会の創立109周年記念礼拝に心から感謝致します。安藤太郎と文子夫人の信仰に倣って、どうか、私たちの心を新たにし、真の献身へとお導き下さい。メソジストの牧師達の献身的なハワイ移民への伝道活動は、18世紀の英国でジョン・ウエスレーが行ったメソジスト運動のアジア版でありました。あなたは安藤太郎と文子夫人に回心を与え、やがて、安藤記念教会を創立するための備えとしてくださいました。あなたの深い御計画を知り、主の御名を賛美いたします。ハレルヤ!どうか、私たちの人生においても、神の約束が実現しますように祈りを深めお導き下さい。この祈り、神の御子主イエス・キリストの御名によって、御前にお献げいたします。アーメン。
(「ライブ配信」は中止しています)
讃美歌
讃美歌21-522番「キリストには変えれらません」
ここを↓クリックして讃美をしてください
https://www.youtube.com/watch?v=p6I6mjKAxW4
聖餐式
献 金
(教会にお集いの時お献げください)
献金の祈り
(各自お祈りください、会堂では司式者が祈ります)
主の祈り
天にまします我らの父よ
願わくはみ名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず、
悪より救い出したまえ
国と力と栄とは限りなく
なんじのものなればなり アーメン
頌 栄
讃美歌28番「み栄あれや」
↓
https://youtu.be/7utapJVm4oA
祝 祷
後 奏 アーメン
黙 祷
ー聖書日課と祈りーへ