教会の沿革
はじまり
創立者・安藤太郎が、文子夫人の遺志をつぎ、自宅を日本メソジスト銀座教会安藤記念講義所として献げ、1918年(大正7年)に「安藤記念教会」として設立が許可されたことに始まります。
安藤太郎・文子夫妻
安藤太郎は、函館戦争で榎本武揚に従軍。
その後 明治政府の大蔵省、外務省に登用されました。
1886年(明治19年)には初代ハワイ総領事に就任し、
キリスト教と出会い、文子夫人とともに洗礼を受けます。
礼拝堂
現存する礼拝堂は、1917年(大正6年)9月に献堂式を行っています。
大谷石による石造りの建物で、通り沿いにステンドグラスをはめこんだポインテッドアーチが見え、タワー部分が設けられています。
設計を担当した吉武長一は、米国ペンシルバニア・テクニカルカレッジで建築を学び、銀座教会(関東大震災で焼失)の設計も手がけた建築家です。
なお礼拝堂は東京都歴史的建物No.65として選定されています。
ステンドグラス
小川三知の製作によるもので、講壇横には百合のステンドグラス。 礼拝堂後方の大きなステンドグラスには「ハワイ初回受洗者」を記念する文字が和英両方で書かれています。緑色を主調としながら、赤を要所に用いた貴重な作品です。